資本主義へのドーピング注入 5
われわれはこの危険の重大さに気づき始めています。
というのも、買収は商品経済の世界を押し広げ、貨幣をさらにさまざまな習慣や道徳意識にまで波及させ、実質的な所有権や不当に得られた所有権に価格をつけるだけにとどまらないからです。
買収は社会体にウイルスをもちこみます。
このウイルスは、その細胞が誕生して以降あらゆる社会領域をむしばんでいくのです。
買収の契約が社会慣習として根づく場合には、そこには相互補完的な、しかし同様に有害な2つの態度が前提とされます。
買収者は貨幣の権力を信頼します。
なにがなんでも貨幣が押しつけられ、貨幣が権力の全面的な代用品に仕立てあげられ、この権力のためにしだいに個人的な努力がさほど必要とされなくなるのです。
個別的な、あるいは集団的な規範は存在しないが、ただし自己の権利を行使するのに応ずることのできる価格とか、応ずることのできない価格は存在するのです。
買収される者は、それよりも雑多な感情を経験します。
かれらの所得はいかなる労働にも結びついてはいません。
その所得はかれが包み隠さなければならない職権乱用と結びついています。
ただし、収賄者は高収入が得られる役職の一部を共犯者この共犯者はやがて収賄者を支配するであろ
うに譲ることもありえます。
怠惰、盗み、隠匿、恐喝・・・
これらはなんびとも説き明かすことのできない買収の絵模様のさまざまな色彩なのです。